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下町労働運動史(28) 大正時代その20

2013/09/09
下町ユニオンニュース 2013年8・9月合併号より
           
大正時代の下町労働運動史 その20 大島町中国人虐殺事件

                   小畑精武


明治から始まる清国労働者の入国
 朝鮮、韓国からの日本への労働者の流入は一九一〇年の日韓併合以降急増し、一九二〇年三万人、三〇年には三〇万人となります。
一九世紀後半、清の時代末期、中国から東南アジアや北米への出稼が急増し、日本にも移住が始まります。清国労働者の入国数は分かりませんが、大きな問題になってきました。 
アメリカでは大陸横断鉄道建設やゴールドラッシュ時に急増した中国人の排斥運動が社会問題になり、一八八二年(明治一五年)には「排華移民法」が成立しています。
日本でも一八九七年(明治三〇年)、最初の近代的労働組合である労働組合期成会鉄工組合結成の中心を担い、アメリカ労働総同盟(AFL)派遣オルガナイザーでもあった高野房太郎は「清国労働者排斥」の演説を九九年に神戸で行っています。「清国労働者非雑居期成同盟」の会員は三万人にも及んだそうです。未熟練労働者の入国は禁止されていました。残念ながらこうした外国人労働者排斥の流れは関東大震災時に朝鮮人、中国人虐殺となって現れます
下町運動史28回
 大島町(現江東区大島三丁目付近)では約三〇〇人の中国人労働者が虐殺されました。彼らは日本人手配師のもと、酒、バクチ、けんか、病気の巣である、安かろう悪かろうの木賃宿に住み、約六千人が京浜地区に居住していました。日本政府は自国の失業問題に力を入れると称して中国人労働者に厳しくあたって摘発を繰り返し、一九二二年には国外退去命令も出されています。

中国人労働者と王希天虐殺
 王希天はこうした大島に「僑日共済会」設立する活動を始めます。そして一九二二年一二月、大島町三‐二七八番地に設立。規約にある「目的」には「会員の道徳を高め、智議を啓発し、連帯を密にし、もって会員相互の助け合いを促進する」とあり、衛生状況の改善、失業者や病災にあった者の扶助、日本語取得、職業教育、職業あっせん、契約や交渉の代行を事業としています。(何か、現在コミュニティ・ユニオンがめざしている方向と似ていますね。)
会の財政は、事業に成功している同胞や留学生、日本人などから寄付を仰ぎ、会員からも会費月額三〇銭を集めました。徐々に大島地区の中国人労働者の労働環境が改善され、会員は約五〇〇〇人へと成長したそうです。
しかし、日本人の人夫手配師と亀戸署の特高からにらまれます。

軍人により逆井橋で斬殺
 王希天は同胞の安否確認のため下町に駆けつけ亀戸署に行きます。「支那人は軍隊が保護している」と言われ、大島にある憲兵隊の臨時派出所へ向かいました。しかしそこで検束されます。その後亀戸の「支那人受領所」で護送事務を手伝わされますが、そのまま「行方不明」になりました。
中国人虐殺と王希天問題は外交問題になっていきます。中華民国から調査団が送られ、そこで行方不明になった王希天の問題も取り上げられましたが、日本政府は隠ぺいを決め「行方不明」と言い続け、わずかな解決金での解決をはかりました。しかし後(一九七五年)に兵士の日記が発見され軍隊によって殺されたことが明らかになるのです。

【参考】
「関東大震災と王希天事件‐もうひとつの虐殺秘史」(田原洋、三一書房、一九八二)
「明治日本労働通信‐労働組合の誕生」
(高野房太郎、大島清・二村一夫編訳、岩波文庫、一九九七)
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