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下町労働運動史3 明治時代 労働組合への道:その2 

2011/05/01
下町ユニオンニュース 2011年5月号より

明治時代の下町労働史 
労働組合への道:その2

日本メーデーの起源は向島での花見?
小畑精武

今年の桜の花見は東日本大震災で中止になったところが多いと思います。5月はメーデーです。メーデーの起源は、1886年(明治19年)アメリカのシカゴで8時間労働制を求めてゼネストに入り、大規模なデモ・集会が行われたのが最初です。(4月号参照)日本のメーデーは下町から、花見から始まったようです。私たちの3~4代前は参加したかもしれません。調べてみたらどうでしょうか?当時から隅田川の堤(墨堤)は桜の名所でした。1901年(明治34年)向島白髭まえの広場で開催された日本労働者大懇親会です。
会費は10銭、午前9時開会、奏楽、祝声、演説、昼御飯、遊戯、福引、酒宴、散会のプログラムで、警視庁は酒類を与えないことなどを条件に5000人の入場を許可していたのですが、3万人以上の労働者が集まりました。労働期成会の片山潜が労働者の保護法制定、普通選挙法制定、毎年のメーデーを提案し、決議されました。

労働組合期成会の結成
「わが国で初めて労働組合をつくろうとしたのは、活版印刷職工たちだった。」(大河内一男、松尾洋「日本労働組合物語・明治」筑摩書房)1884年(明治17年)のことです。しかし、その後1890年(明治23年)には活版工1500人による同志会の旗揚げ(日本橋木挽町)までこぎつけましたが、会費の使途が不明のため解散を余儀なくされました。
そして、1897年(明治30年)7月に労働組合期成会が日本橋区で髙野房太郎、片山潜、城常太郎たちによって結成され、12月に石川島造船所を含む鉄工組合が結成されます。その後東京馬車鉄道御者車掌同盟期成会、靴工クラブ、東京船大工組合など労働組合が結成されていきました。しかし、政府は1900年(明治33年)に悪名高い治安警察法を制定し、労働運動への弾圧を強め、労働組合結成運動は弱体化していきました。

日本鉄道のストライキ
日本鉄道は鉄道国有化(1906年)前、上野から青森までの東北線を所有していた会社です。蒸気機関車の機関方と火夫は日清戦争時の軍隊輸送に馬車馬のように働いてきたにもかかわらず「馬」と呼ばれていました。駅長など職員は賞金を受けたにもかかわらず、彼らには何もなかったのです。こうした身分差別に反対し、待遇改善を求めて、1998年(明治31年)2月24日ストライキに立ち上がりました。福島から始まり、一関、上野、宇都宮、仙台、青森へと広がって27日まで続き、会社は打つ手もなく交渉に入り、機関方など名称の改定、賃上げを認め、労働者の大勝利に終わりました。
この時までの明治時代の運動は酒によって自壊することが多かったのですが、日鉄労働者のリーダーは禁酒会を起こし200人に達したそうです。
 当時の争議は要求をかかげていきなりストライキ(同盟罷工)に突入するパターンが目立ちます。これは労働組合が正式に認められていないため団体交渉が制度化されていない時代の特徴といえます。それどころか治安警察法は労働組合の組織化を事実上否認する内容でした。


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